3月中に「緊急事態条項」条文案をまとめる!?

3月中に「緊急事態条項」条文案をまとめる!?

3月中に「緊急事態条項」条文案 憲法改正で維新・国民民主などが合意(産経新聞) - Yahoo!ニュース
日本維新の会、国民民主党、衆院会派「有志の会」は8日、緊急時の国会議員の任期延長など、憲法改正の「緊急事態条項」に関する実務者協議の初会合を開き、3月中を目途に共同で条文案をまとめる方針で合意した。

(産経新聞)

日本維新の会、国民民主党、衆院会派「有志の会」は8日、緊急時の国会議員の任期延長など、憲法改正の「緊急事態条項」に関する実務者協議の初会合を開き、3月中を目途に共同で条文案をまとめる方針で合意した。

今後、週に1回程度のペースで会合を持ち、具体的な条文作りを行う。会合後、維新の音喜多駿政調会長は「2党1会派が党派を超えて条文を作り、共同提案するとなれば、改憲議論に大きな一石が投じられる。スピード感をもって取りまとめ、(国会の)憲法審査会に示せるよう努力したい」と述べた。

改憲の目玉、最も危険な緊急事態条項。

野党が入って条文案をまとめる方針だと。

 

上の動画では、この条項は危険という立場で書籍を出している永井弁護士の話が聞ける。

災害時の、迅速な対応のために必要と政府がいう緊急事態条項ですが、

ご自身も阪神淡路大震災の被災者であり、それ以降27年間、災害関連の立法に関わってきた永井さん。

その永井弁護士は、緊急事態条項が必要だったことは一度もないと断言しています。

災害時の緊急事態に対しては事前に個別法=災害対策基本法などの法律を制定しておいて対処する。

被災者にとって一番重要なのは仮設住宅に断熱材が入るのか、あるいは復興住宅に入る時に連帯保証人が必要なのか、そういうことなんです。条例とか法律の運用のレベルです。憲法なんて関係ないんです。

改憲案の緊急事態条項は、戦争・内乱・大規模な自然災害など緊急事態をひっくるめて定めている。

大は小を兼ねるで、一番重たい戦争に合わせて制度設計がされている。

大日本帝国憲法には緊急事態条項が4つもあった。

戦前の日本には、緊急事態条項が4つもあった。

その結果どうなったのか。

例えば、「緊急勅令」と言って緊急時には議会の持っている立法権を政府が持ってしまうとか、「緊急財政処分」といって本来議会が持っている予算議決権を政府が持ってしまうとかそういう制度があった。

これがさんざん悪用された挙句に軍隊が暴走して戦争に突入してしまったのが戦前戦中。

戦争は勝たなきゃいけないから、時間と手間暇がかかる国会の議決を得る余裕がない。だから立法権とか予算議決権が全部政府に集中してしまう。

つまり政府に極度な権力が集中するので、乱用されやすい。

二つ目は、戦争は国民にお国のために命を捧げて貰わないといけない、だから人権の保障を停止するということになる。ですから人権の侵害の危険性が極めて高い。

乱用の危険があるから緊急事態条項はあえて設けない、災害時は個別の法律で対応する、それが現在の日本国憲法。


 

ここで過去にも一度紹介した戦前の治安維持法が、国民の言論の自由や思想の自由を奪うまでの過程について再度、参考動画をもとに紹介する。

戦前、言論の自由、思想の自由がおかしくなるまでの過程

治安維持法は現在の共謀罪と同じだと言われている。

相談、計画しただけで罪に問える

戦前の治安維持法が、徐々に恐ろしいものになっていく過程についてはこちらの動画に解説がある。

治安維持法が制定されたのは、大正時代末期。

元々は共産主義運動を取り締まる目的で作られたが、共産党員として起訴された人は全体のわずか3.4%

戦時体制が進む中、適応範囲が拡大され、言論や思想、集会結社の自由を奪い、一般市民や多くの知識人を弾圧することになった。

日本国内の検挙者は述べ6万8332人。

共産主義者が監視対象だったが、地方組織についてはメンバーの名前も人数も特定できていなかった。

そこで、特高は全国31都道府県の警官を動員し、疑わしい組織や人物を一網打尽、(片っ端から取締まる)にした。

このため捕まった人の中には、共産党員ではない人が多くいた。

なぜ共産党員でない人が捕まるに至ったのか。

それは1928年、治安維持法の改正法案が提出され、死刑制度の導入と目的遂行罪」が付け加えられたから。

目的遂行罪=共産党員でなくても、共産党の目的を手助けしていれば、罰することができるというもの

これは国会に提出されたが廃案になった。しかし、政府は新たな手段によってこれを実現させてしまう。

それが緊急勅令

天皇の命令の形で、改正案とほぼ同じ内容を施行させた。

本来「緊急勅令」は災害時に用いられるものとされたが、当時起きた「3.15事件」を国家の非常事態であるとしてこれを適応。

3.15事件とは?

1928年(昭和3)3月15日の日本共産党に対する大弾圧事件。〜〜

政府は治安維持法にもとづき,1568人を検挙したが,当時共産党の党員数は409人であった。

https://www.historist.jp/word_j_sa/entry/033169/

その後、国会でも「目的遂行罪」は承認される。

「目的遂行罪」が承認されたことで、適応の範囲は一気に広がる。

例えば文書を配布したり、友人と社会科学の文献を読書会で読んだのも共産主義社会を作るための行為だと当局に認定されれば「目的遂行」ということに取り締まりの対象になってしまう。

これさえあれば(当局の解釈次第で)取り締まりができる。

取り締まりの威力を倍増させることになった。

上の動画(7:24〜あたり)から長野で起こった2・4事件についての解説。

当時は大恐慌の影響で長野の農村は貧困に喘いでおり、身売りする児童まで出てきていた。

そこで教師たちは組合を作り、国に学費を肩代わりするように求めた。

こうした活動が目的遂行罪にあたるとされ、教師は全員が目的遂行罪によって起訴された。共産党員ではないにもかかわらず・・。

さらにこの組合のメンバーでもなかった立澤さんも、たまたま仲間の教師に誘われ組合主催の研究会に参加していたことで検挙される。

立澤さんは、1日とり調べを受けただけで罪には問われず釈放された。しかし検挙されたことが問題となり教壇から追放された。

1933年には弁護士も治安維持法によって検挙される。

3.15裁判で被告の共産党員を弁護したことが目的遂行罪に当たるとされた。判決は有罪。

弁護士資格も剥奪。

治安維持法とされた事件の弁護ができなくなってしまう。

(これは結局、政府から目的遂行罪だと認定されて捕まれば、弁護士すらつけることができずに、個人で警察と戦わなければいけない。その悲劇が以下のようなもの

特高の取り調べは著名な文化人にも及びます。

小説、「蟹工船」の著者小林多喜二も目的遂行罪で罪に問われた。

小林多喜二は2度の検挙で、拷問を受け、獄死した。

こんなこと、再び起きるわけないという方へ。

自民党の改憲案

基本的人権の削除に加えて、ここをわざわざいじる意味を考えると恐ろしい。

ーーー

動画に戻ります。

著名な哲学者である三木清氏も治安維持法で逮捕され、獄死。

作家の吉野源三郎も有罪判決を受ける。釈放後に執筆したのが「君たちはどう生きるか」だった。

特高は治安維持法について、至れり尽くせりの重要法令だと言っていた。

この頃、共産党の幹部たちの間で、自らの考えを翻す者が相次ぐ。背景には当局のある政策があった。「転向政策」

彼らの考え方や行動を政府がコントロールするもの。

「転向政策」は共産党と関わりのない人たちに行われていた。

長野の2・4事件。

上に書いたように、長野で貧しい児童を救おうと、国に学費を肩代わりするよう運動していた教師が目的遂行罪で起訴された事件。

その時その会に参加していた立澤さん。組合のメンバーでもなく共産主義とも無縁の立澤さんも「転向」を表明させられていた。

その姿勢が認められ、1年後に教師への復帰が許された立澤さんだが、待ち受けていたのはある国策への協力だった。

当時、日本は、旧満州、中国東北部に進出していた。

移民政策を打ち出した政府にとって、柱の一つが満蒙開拓青少年義勇軍だった。

長野の教師たちはこの義勇軍に児童を送り出すよう割り当てを課せられていた。立澤さんも放課後になると教え子の家を繰り返し訪ね、説得を重ねた。

転向の名の下に、国策への協力を求められた立澤さん。

長野県からは全国から最も多い、6216人の少年が、満州に送り出されることになった。

戦後、立澤さんは自身の説得により満州に赴いた児童が亡くなっていることを知る。

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治安維持法を一つのテコとして、多くの国民が国策に組み込まれ戦争への道を進んでいくことになった。

戦争状態が徐々に始まることによって国家に従うよう、「積極的に」国家に従うような国民作りをしていくところに治安維持法の大きな役割があったのではないか。

11:39~

特高が検挙した団体のリスト。対象はさらに広がっていた。

新築地劇団、落書き、日本灯台社(信者が兵役を拒否した宗教団体、天皇を神とした国体を否認したとして罪に問われました)

1933年、日中戦争が始まると本格的な戦時体制に突入する中で、1938年、国家動員法も制定された。

治安維持法に新たな役割が求められていた。

国家が認定する日本精神というようなものにそぐわないと、より厳しく対処するということが行われた。

司法当局は目的遂行罪の運用に行き詰まりを感じていた。

動画の中では日本精神なるものを語る自民党議員の映像が挿入されています。

他の議員の発言はこちら↓にまとめています。

https://nokonote.com/憲法改正に対する自民党議員の発言集

下は自民党の憲法草案を書いた礒崎元首相補佐官。

「基本的人権を全部削りました」

 

この方達の思想にそぐわないものに、国は転向政策を促し、国家に忠誠を尽くす活動を余儀なくされるということか・・。

ーーー

動画の解説に戻って・・。

1941年、治安維持法は再び改正される。

毎年、適応範囲を拡大し、解釈運用の限界点に達していた。

7条だった条文を65条に増やし、目的遂行罪の適応範囲を大幅に広がった。

拡大解釈されたところに、今度は条文を当てはめようとする本末転倒な考え方での改正が行われた。

美術部で普通に絵を描いていた少年が、共産主義的だと言われて有罪になる。

法治国家とは言えない実態。

戦後も国は治安維持法に対して謝罪もしていないし、実態調査を認めていない。

どなたかわからない、政治家の答弁。

「治安維持法は当時、適法に制定された者でありますので、同法違反の罪に関わります勾留拘禁は適法でありまして、また同法違反の罪に関わる刑の執行も適法に構成された裁判所によって言い渡された有罪判決に基づいて、適法に行われていました。」

特高は敗戦をむかえてもなお、任務を続けていた。

戦後の混乱に乗じて、天皇制を否定する者がいないか国民の監視を続けていた。

敗戦から2ヶ月後の10月4日、GHQは日本政府に対し、治安維持法の廃止を命じた。

GHQ憲法というプロパガンダワード

よく改憲派は今の日本国憲法はGHQ憲法であり、日本の弱体化を目指したものだという。

でも実は、この時弾圧された日本人が憲法作成に関わっていることは言わない。

最近はこのことをきちんと書くテキストも出てきているらしい。

政府が暴走し、2度と戦争に突き進まないよう、国民の権利を明確にし(言論の自由や思想の自由、国民主権)などが守られいる憲法。

敵国が作ったにしては、あまりに国民に優しいではないか。

日本国憲法(昭和二十一年憲法)第25条 第1項

すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。

第2項 国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上 及び増進に努めなければならない。

これをつけたのは、憲法研究会に所属していた経済学者の森戸辰男さん。

詳しくはこちらに書かれている。

日本人が魂入れた憲法25条・生存権

https://business.nikkei.com/atcl/report/15/120100058/022300002/?P=1

GHQ憲法という言葉を最初に使ったのは、岸信介。

当時から文鮮明とズブズブの関係だった岸は、憲法の内容ではなく、制定過程だけを問題にして憲法改正に突き進もうとしていた。

その当時、共産党か、社会党かの議員が、「日本国憲法は戦争で亡くなった300万人の日本人の遺書だと思っている」と国会で答弁しているのです。

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審議拒否して、災害を口実に緊急事態条項を草案に盛り込んだ自民党

自民党が憲法草案に緊急事態条項を盛り込むきっかけとしたのが東日本大震災。

実は当時野党だった自民党は民主党の復興支援の審議拒否を3年で85回も繰り返していた。

それにもかかわらず、速やかな復興支援のためと言って、緊急事態条項を憲法草案に盛り込んだのだ。

CIA・統一教会と繋がる櫻井よしこさんも緊急事態宣言を要望。

世界と日本の緊急事態条項の比較

緊急事態条項に賛成する人の中に、世界中にあるんだから、日本にもあっていいという人がいる。そこで、世界と日本の緊急事態条項を比較しているのが下のツイート。

政府が暴走しないように緊急事態条項には縛りをつけている。

それでもコロナパンデミックの中、ドイツでは2020年11月に授権法(緊急事態条項と同じようなもの)が制定され、何が起こったかをめいこさんが解説している。

こちらはカナダ。

オーストラリアの場合は・・(0:30〜)。カナダの場合は・・(0:37〜)エリザベスさんの動画。

こうやって見てみると、緊急事態条項は政府にとって都合が良く、国民にとって良いことは何もないことがわかってきます。

そもそも現在の自民党の憲法草案は勝共連合(統一教会)の草案と瓜二つなのです。

それが報じられても、全く無風状態で、普通に改憲のための憲法審査会が開かれていること自体、今の日本はおかしくなっているのです。

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